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風の吹くまま気の向くままの生活雑記
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 魔窟と化した押入れの中から、買った覚えのない本が出てきた。二冊ほど。
 割と纏め買いしては積んどくことが多いので、買った覚えがないこと自体は珍しいことでもないけれど、どんな動機で買ったのかも覚えていないのは珍しい。珍しいが、まあ、なんかのついでに買って、ついでと思ったきっかけさえ忘れてしまってるのかもしれない。そういうことも、なくはない。

 一冊は箱入りハードカバーの筑摩書房 現代文学大系59『大岡昇平集』、もう一冊は同じシリーズの53『坂口安吾・井上友一郎・檀一雄集』こっちは箱なしで書店のカバーがかかっている。室町書房。
 大岡昇平は、むかし丸谷才一の『文章読本』で絶賛されてたので、それで興味持って買ったのかもしれないし、坂口安吾も好きな作家だ。ふと物のはずみで買っていてもおかしくはない。
 だがしかし。古本も新刊も分け隔てなく欲しいものは買う質だが、主に置き場所の問題で、ハードカバーはあまり買わない。ましてこの手の全集物は市か学校の図書館で容易に手に入るので(貸出中になることも少ないし)、なんか切迫した理由がない限り買わないと思うのだが、その割に動機を覚えていないのはおかしい。

 ということはこれは多分、父の蔵書だ。
 戦中末期生まれ戦後世代だった父は割と、戦中体験を書いた小説だのノンフィクションだのを読んでいたようだ。はっきり父のだと覚えている本も、その手のがある(もっとも基本的に買わずに図書館利用の人だったので、あんまり残ってないけども)。
 坂口安吾集の方には、裏表紙の見返しの端に、鉛筆書きの日付。多分購入日かな。発行日と同じ日付ということは、発売日にいそいそと買ったんだろう。
 ちなみに日付は私の誕生日より年単位で前の日付だ。筆跡にも見覚えがあるような気がすることからして、間違いないだろう。

 父とはあまり本の話をしたことがない。他界したのが私が中学生のことで、そのくらいの年頃といえば、ご他聞にもれず「父親は敬して遠ざける」で、一線も二線も距離を置いていたし、私自身も「近代文学」なんぞよりはコバルト文庫だのゲームブックだの三国志だのにハマっていたし(せいぜい読んでも太宰とか漱石くらい…新井素子にかぶれた余波で中原中也と小林秀雄は読んでたかな)、父もあまり「これを読みなさい!」とか勧めてくる人ではなかったし。
 そう思うと、こうやって全然関係ないルートから同じ作家・作品を読んでいる、というのも面白いなと思ってしまう。感受性というのも、少しは遺伝するものなんだろうか。文章の趣味なんてのは後天的教育によって出るもんだと思っていたけど。不思議なモンです。何年か前に流行った「ヒトは遺伝子の乗り物である」的遺伝子論をちょっと思い出す。それとも脳の神秘といったほうがいいのかな。

 謎が解けたところで、それにしても、と苦笑いしてしまう。言っといてくれれば買わなかったのになあ。文庫本の『野火』と『桜の森の満開の下』。

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不思議だよね
感受性も遺伝すると思っているまぐです、こんばんは。

生前は知らなかった父の趣味が、自分と似ていることに気づいた時は私も同じように感じました。
父に勉強を教えてもらっていないのに、得意科目が父の担当教科(教師でした)だったり。
まぐ 2009/06/28(Sun)01:51:46 編集
Re:不思議だよね
こんちは~(*´∀`)

おお、まぐたんにも似た経験ありますか!
不思議な感じしますよね。
やはり感受性の遺伝てあるのか~。
【2009/06/29 06:57】
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