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3/11、宮城県沖で発生した地震の影響は関東にもかなりきましたー
最初のときは、なにせ無駄に地震慣れしてる関東民のこと、「あー揺れてるね」「今日はちょっと強いね」くらいだったのが、歩くのがちょっとふらつく強さのゆ~らゆ~らする横揺れが1分以上続くに至って、こりゃやばいということで、みなさん荷物担いでいったん外へ避難。ビルのエレベーターなんか当然のように止まってて、6Fから階段で下りていくも、降りてる途中でまた揺れたりして結構怖い。下の階では入り口前の観葉植物の鉢が倒れて水と土が散らばるという被害が発生。
会社の入ってるビルは9階建てで、造り自体もかなり古いそうなので(小耳に挟んだところでは昭和45年築とかw;)それはそれで怖かったですが、道路挟んだ向こうのビルは、かなり新しい20数階建てで、その上の方の階が地面の揺れが収まった後もいつまでもゆ~らりゆ~らりしていて、あれはあれで見てる方が怖かったよ。目の前に地下鉄の駅があるので、地下からでてきたとおぼしき人々で歩道はごった返してきて。しばらく携帯で家に電話したり、ネットの情報を見ようと思ったものの、電波ぜんぜんつながらず。家電宛なんてもってのほかって感じ。たまについったがつながるので、そちらで断片的に情報みつつ、何となく待機。揺れも収まったかなというところで、寒いし一端オフィスに戻り。しかしこの状態でまともに仕事に戻れるわけもなくw; 社内のネットが死んでしまったらしいので(Webサーバーが逝ったらしい)、携帯のネットとワンセグで情報収集にはげむ人々w こういうときはガラケー便利ですなw
で、地震の規模とか津波の様子とかがだんだん知れてきて愕然となってたところへ第二波到来。今度はみんなコートと荷物もってPCの電源切るのもそこそこに外へ避難。外から家とかに電話をするも、当然つながらず。こういうときに限って社長とかプロジェクトのリーダーとか偉い人が不在&連絡つながらず。まあJR私鉄ともに全線運休状態なのでここで帰れといわれてもそれはそれで困るのだが。
そのうち、こっちのビルの前にも人が増えてきて、社内に戻ろうかどうしようかってところで、一人の人が日比谷公園への避難を提案。私ともう一人はそれにのっかることにして(これじゃもう今日は仕事にならんし)、徒歩移動。赤坂のあたりから日比谷公園て歩けるのね…。って国会議事堂とかみたの小学生の時の社会科見学以来だわw
で、なんとか日比谷までたどり着き、その間も時々会社に残った人々と連絡を付けようと試みましたが電波混んでてちっともつながらず。日も傾いてきてさらにパラパラ雨も降ってきて、という最悪に近づいていく状態の中、やっっとつながったのが5時頃? 正式に社長から帰宅許可がでて、じゃあ帰りますってことでそのまま東京駅まで歩き。幸いなことに連れの女性陣が揃って千葉方面在住だったので、電車動かなかったら歩いて帰りましょうかーとかいいつつJR復旧待ち&ここまでの徒歩の分休憩ってことで東京駅の居酒屋へ。
同じことを考えた人は多かったらしくちょっと居酒屋開始タイムには早いながら、開いてるお店はすでにどこもほぼ満席で、通路にも座り混んでる人々がちらほら。とりあえず入れたお店で飲み食いしながら情報収集。ここから一番近い避難所ドコーとか、ビッグカメラが携帯充電器無償解放したとか。バスの路線はどこまで行けるかとか。携帯の電話はつながらないながら、メールは生きてるようで時々友人から安否確認のメールがくる。…都内勤務者はほとんど難民。千葉県内勤務者も難民。船橋勤務の子がJR船橋で駅のシャッター閉まったので職場でお泊まり確定(大意)というメールをくれて、JR今日はもう動かす気ないらしい。ということでお店を出てバスの路線を模索。とりあえず日本橋まででれば錦糸町までバスで行けるはず。ということでバス乗り場へ行くも、いつ来るかも判らない上に、やっと来たバスも、満杯で止まってくれず。
こりゃー覚悟を決めて歩くか、ととぼとぼ歩きだし、しばらく行ったところで親切なおじさんが「銀座線が復旧したよ」と教えてくれたのでとんぼ返りで銀座線の駅へ。これで錦糸町まででて、あとはタクシーか徒歩かなーとぼんやり考えてましたが、一緒にいた平井在住の子が良かったら泊まって行ってと行ってくれたので、ありがたくお言葉に甘えることにして(タクシー拾えても超渋滞で車動いてなかったし)、平井まで徒歩移動。途中のスーパーで夕飯仕入れて徒歩でひたすら移動。陸橋の上から見たスカイツリーにかかる月がきれいだねとかいいながら。のんきに写真撮ったりして。道路の方は上りの車線はもはや道路というより駐車場の様相を呈していて、タクシーで帰る選択肢はなくなった感じ。
移動中、電話もやっとつながって親の無事も確認できて一安心。
同僚宅に着いたところで、軽くお腹に物入れてテレビつけて、千葉はコンビナート火災だわ、宮城岩手の津波はものすごいわ、気仙沼は火の海だわ、なんか見れば見るほど全方位大変なことになってて愕然。
同僚宅は幸いなことにガスも電気も水道も無事だったので(タンスとかはちょっと無事じゃなかったらしいが)、ほっとしてご飯食べてるとほんと現実感なくて呆然としたよー。
その間も細かく余震が来て、緊急地震速報のアラームが鳴ったり、ピリピリすることもあったけど疲れには勝てず就寝。布団まで出してもらって大変快適でした。Sさんと彼氏さんマジありがとう。
最初のときは、なにせ無駄に地震慣れしてる関東民のこと、「あー揺れてるね」「今日はちょっと強いね」くらいだったのが、歩くのがちょっとふらつく強さのゆ~らゆ~らする横揺れが1分以上続くに至って、こりゃやばいということで、みなさん荷物担いでいったん外へ避難。ビルのエレベーターなんか当然のように止まってて、6Fから階段で下りていくも、降りてる途中でまた揺れたりして結構怖い。下の階では入り口前の観葉植物の鉢が倒れて水と土が散らばるという被害が発生。
会社の入ってるビルは9階建てで、造り自体もかなり古いそうなので(小耳に挟んだところでは昭和45年築とかw;)それはそれで怖かったですが、道路挟んだ向こうのビルは、かなり新しい20数階建てで、その上の方の階が地面の揺れが収まった後もいつまでもゆ~らりゆ~らりしていて、あれはあれで見てる方が怖かったよ。目の前に地下鉄の駅があるので、地下からでてきたとおぼしき人々で歩道はごった返してきて。しばらく携帯で家に電話したり、ネットの情報を見ようと思ったものの、電波ぜんぜんつながらず。家電宛なんてもってのほかって感じ。たまについったがつながるので、そちらで断片的に情報みつつ、何となく待機。揺れも収まったかなというところで、寒いし一端オフィスに戻り。しかしこの状態でまともに仕事に戻れるわけもなくw; 社内のネットが死んでしまったらしいので(Webサーバーが逝ったらしい)、携帯のネットとワンセグで情報収集にはげむ人々w こういうときはガラケー便利ですなw
で、地震の規模とか津波の様子とかがだんだん知れてきて愕然となってたところへ第二波到来。今度はみんなコートと荷物もってPCの電源切るのもそこそこに外へ避難。外から家とかに電話をするも、当然つながらず。こういうときに限って社長とかプロジェクトのリーダーとか偉い人が不在&連絡つながらず。まあJR私鉄ともに全線運休状態なのでここで帰れといわれてもそれはそれで困るのだが。
そのうち、こっちのビルの前にも人が増えてきて、社内に戻ろうかどうしようかってところで、一人の人が日比谷公園への避難を提案。私ともう一人はそれにのっかることにして(これじゃもう今日は仕事にならんし)、徒歩移動。赤坂のあたりから日比谷公園て歩けるのね…。って国会議事堂とかみたの小学生の時の社会科見学以来だわw
で、なんとか日比谷までたどり着き、その間も時々会社に残った人々と連絡を付けようと試みましたが電波混んでてちっともつながらず。日も傾いてきてさらにパラパラ雨も降ってきて、という最悪に近づいていく状態の中、やっっとつながったのが5時頃? 正式に社長から帰宅許可がでて、じゃあ帰りますってことでそのまま東京駅まで歩き。幸いなことに連れの女性陣が揃って千葉方面在住だったので、電車動かなかったら歩いて帰りましょうかーとかいいつつJR復旧待ち&ここまでの徒歩の分休憩ってことで東京駅の居酒屋へ。
同じことを考えた人は多かったらしくちょっと居酒屋開始タイムには早いながら、開いてるお店はすでにどこもほぼ満席で、通路にも座り混んでる人々がちらほら。とりあえず入れたお店で飲み食いしながら情報収集。ここから一番近い避難所ドコーとか、ビッグカメラが携帯充電器無償解放したとか。バスの路線はどこまで行けるかとか。携帯の電話はつながらないながら、メールは生きてるようで時々友人から安否確認のメールがくる。…都内勤務者はほとんど難民。千葉県内勤務者も難民。船橋勤務の子がJR船橋で駅のシャッター閉まったので職場でお泊まり確定(大意)というメールをくれて、JR今日はもう動かす気ないらしい。ということでお店を出てバスの路線を模索。とりあえず日本橋まででれば錦糸町までバスで行けるはず。ということでバス乗り場へ行くも、いつ来るかも判らない上に、やっと来たバスも、満杯で止まってくれず。
こりゃー覚悟を決めて歩くか、ととぼとぼ歩きだし、しばらく行ったところで親切なおじさんが「銀座線が復旧したよ」と教えてくれたのでとんぼ返りで銀座線の駅へ。これで錦糸町まででて、あとはタクシーか徒歩かなーとぼんやり考えてましたが、一緒にいた平井在住の子が良かったら泊まって行ってと行ってくれたので、ありがたくお言葉に甘えることにして(タクシー拾えても超渋滞で車動いてなかったし)、平井まで徒歩移動。途中のスーパーで夕飯仕入れて徒歩でひたすら移動。陸橋の上から見たスカイツリーにかかる月がきれいだねとかいいながら。のんきに写真撮ったりして。道路の方は上りの車線はもはや道路というより駐車場の様相を呈していて、タクシーで帰る選択肢はなくなった感じ。
移動中、電話もやっとつながって親の無事も確認できて一安心。
同僚宅に着いたところで、軽くお腹に物入れてテレビつけて、千葉はコンビナート火災だわ、宮城岩手の津波はものすごいわ、気仙沼は火の海だわ、なんか見れば見るほど全方位大変なことになってて愕然。
同僚宅は幸いなことにガスも電気も水道も無事だったので(タンスとかはちょっと無事じゃなかったらしいが)、ほっとしてご飯食べてるとほんと現実感なくて呆然としたよー。
その間も細かく余震が来て、緊急地震速報のアラームが鳴ったり、ピリピリすることもあったけど疲れには勝てず就寝。布団まで出してもらって大変快適でした。Sさんと彼氏さんマジありがとう。
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